沖縄県で医師人生を始めた理由
最近お会いした方に、「なぜ沖縄県で臨床研修したのですか?」とご質問をいただくことがよくあります。
実は沖縄県は、日本における初期臨床研修(研修医教育)のメッカです。
その理由は終戦直後の沖縄県の歴史的背景にさかのぼります。
終戦直後の沖縄県は医師の数が激減していました。当時沖縄県はアメリカに占領されていたので、ハワイ大学が旧コザ市(現うるま市)にコザ病院を作り、そこにアメリカ人医師を送り込み、米国式の医師教育をスタートさせました。
当時から米国の医師研修はローテーション方式をとっており、将来的に何科を専攻するかによらず、医学部卒業直後は内科、外科、小児科、産婦人科、麻酔科、精神科などをすべからく経験することで、スペシャリストである前にまずはジェネラリストであれ、という教育がなされていました。こうした研修は視野の広い医師を育てる効用があり、医師不足かつ離島をたくさん抱える沖縄県の社会的ニーズにもマッチしていました。
沖縄県が本土に復帰して以降も、コザ病院(現沖縄県立中部病院)での米国式の医師教育は継続されました。
当時の日本国内での医師教育といえば、医学部卒業後に診療科を決め、その領域を学ぶという縦割り式のものがほとんど全てでした。そこで、当時の若くて意欲的な医師の中には、国内にいながら米国式のローテーション研修を受けられる沖縄県立中部病院に関心を示したのです。
今でこそ日本でも初期臨床研修と言えばローテーション研修が当然のものではありますが、その原点は沖縄県にあったといえます。
沖縄県立中部病院では、「島医者を育てる」という社会的ミッションがあることも影響し「断らない医療」が当然のように実践され、他にも北米式ER、本物の感染症診療研修、徹底した屋根瓦式指導(ひとつ上級医が下の学年を指導する体制)といった意欲的な研修医にとって魅力的な教育環境が揃っていたのです。
更に加えるならば、沖縄県立中部病院での研修は超実践的かつ激務であることで知られていましたので、医者人生の最初に一番きつい仕事を経験しておけば、その後はどんな目にあってもなんとか乗り切れるのではないか、と期待してたのもあります(そして、それについては期待以上の効果がありました)。
沖縄での研修医は体力的かつ精神的に辛いことも多かったですが、そこを乗り越えたからこそ身につけることができたこともたくさんあります。そこで得た経験を、今は大田区・品川区を中心として在宅療養される方々に、訪問診療・在宅医療を通じて届けたいと思っております。