【第7波】重症化した人が速やかに入院できるような仕組みが急務
三連休が明けた7月19日から、当院のような訪問診療クリニックにも難民化した発熱患者が押し寄せるようになっています。
まず前提として、当院は訪問診療のクリニックですので、予め契約を結んだ通院困難な患者様を定期訪問しています。そのため通常から”飛び込み”の患者様はお受けしにくいです。ですから看板も小さいものを控えめに出す程度にしています。普通の外来クリニックですと、熱が出た、お腹が痛いなどの訴えでも気軽に受診できるわけで、ここは当院との大きな違いです。
本来、発熱患者はまず通常の外来クリニックに行きます。そこが飽和してしまい受け入れられなくなると、”奥の手”として当院のような訪問診療のクリニックに患者が流れ着くのです。
私がコロナ対応をしている風景がメディアなどで報道されるということは、平時の医療体制が機能しなくなったという意味で、良くないことが起こっているという象徴とも言えるわけです。
さて、病原性が低いと言われているオミクロン株が台頭する第7波ですが、その私の印象は日々移り変わっています。先週ですと、往診依頼が来るのは軽症の方ばかりで、電話やメールで病状を聞いて、軽症である旨をお伝えし、簡単な対処法をお伝えすれば患者さんも安心してくださることが多かったです。そのため、コロナ往診も1日に数件程度ですんでいました。しかしそのような楽観的に見える状況の中でも悪い予感がすることはありました。
先週なかごろ、コロナ患者さんが不調をきたし、「その部分だけ検査してほしい」と大きな病院にお願いをしても、「満床(入院ベッドがすべて埋まること)ですので、その方が万一入院が必要となる状況であった場合に責任が持てないため、検査だけという目的でもお受けできません」と断られてしまったからです。
予感は当たり、状況は日増しに深刻になっています。今週に入って徐々に中等症II(酸素吸入を必要とするレベル)でも入院調整に時間がかかるという患者が増えてきました。病床はまだ50%空きがあるはずですが、それでも、救急要請しても受け入れ先を見つけられずに不搬送となる患者が相次いでいます。
今夜、不搬送となったときに救急隊員の一人が「本当に悔しい。第5波のときより厳しい状況です。本当に申し訳ありません」と患者に謝罪していました。救命救急士は文字通り救命が使命であり危機に瀕する命を救いたいからその職を志しています。それなのに、今にも消えてしまうかもしれない命の火を、どうすることもできずに見放すことしかできない。この悔しさは医療者の一人として察するにあまりあります。
「医療は崩壊していますか?」
そう質問されることがあります。
医療崩壊には諸定義あるかもしれませんが、「必要とされる医療を提供できていない状態」であるとすれば、現在、医療崩壊していると言ってしまって差し支えないと考えます。むしろその現実を直視しなければ、命を救うための対策も不十分なものを万全に続けるのみに終止してしまうでしょう。
批判を恐れず私は申し上げます。医療崩壊していると。何らかの対策が必要であると。私は特に次の3つが重要だろうと考えています。
①一人ひとりが感染経路を意識したハイリスク行為を控え、感染してしまうことを防ぐ
新型コロナウイルスの重要な感染経路はウイルスを多量に含んだツバなどの飛沫を口や鼻、目といった粘膜を介して体に取り込んでしまうことで起こります。
食事中のマスクのない会話は飛沫が飛び交うリスクがあります。アルコールが入る場合はなおさらです。気が大きくなって、声も大きくなりさらに飛沫が飛び散るでしょう。
今、誰しもが感染していてもおかしくない状況下で、そのトーンでの会話は必要でしょうか?飲みに行くなと言っているわけではありません。お酒が入っても、小声で、飛沫を意識して口元を「何か」で覆いながら話す、話を聞く、くらいはしてみてもよいのではないでしょうか。あえてマスクで、と言わず「何かで」としたのは、食事中に話をするたびにマスクを付けるのは負担に感じる方も多いと思われるからです。飛沫をブロックできれば良いので、タオルやハンカチ、ティッシュなどで覆うのも、何もしないよりも遥かに有効と思われます。
また、手先に付着したウイルスを含んだ飛沫を、無意識に口の中や鼻の穴、目の粘膜に入れてしまわぬよう、これらの場所が気になる場合は手を消毒してから触る、という心がけをするのも有効であると思います。
とにかく、飛沫を体の中に入れない、といった対策が肝要です。
②医療機関は、現実的な感染リスクに備えた予防策を行うことで、新型コロナ対応の門戸を広げる
コロナの感染リスクを過剰に恐れるあまり、発熱患者を一切見ない、としている医療機関も多いです。
飛沫を体内に取り込まないように意識すればよいだけですので、状況によってはゴーグルも、手袋も、N95も、ガウンも絶対に必要というわけではないのです(舘田先生らにより令和4年6月8日のアドバイザリーボードで出された提言書をご参照ください)。「診察のたびに服を着替えなくてもよいのですか?」と尋ねられることがありますが、その方が「診察が終わるごとにそのとき着用していた服を舐め回す」という特殊な習慣がなければ、毎回服を着替える必要はないでしょう。
かねてよりインフルエンザを診療していた医療機関であれば、同じ感染様式を持つウイルス性感染症ですので、同じような対策をとっていただければ、過剰な恐怖感なく診療していただけるのではないでしょうか。
発熱患者を断らなくなったり、コロナで療養中に体調を崩した方が普通にまずは町中のクリニックを受診できるようになれば、今のように「調子が悪くなったが医療機関と連絡が取れず、どんどん悪くなってしまった」という患者は確実に減ります。
③発生届のあり方を見直し、診察医による基準を明確化した”入院調整依頼書”を提出することで、本当に入院が必要な人が確実に医療につながるようにする
こればかりは自分程度の身分ではどうしようもありません。
ただ現場の実感としては、発生届を書くことが大きな負担で、そのクオリティの維持も一苦労というのがあります。たとえば、リスクの高い人も低い人もおしなべて発生届を提出しないといけないので、基礎疾患や重症化リスクについての言及が”手抜き”になってしまっている例が散見されます。基礎疾患があるのに「ない」と記載されたために健康観察の優先順位が後回しにされて重症化してしまった、という方がいました。私個人としては、その多忙ぶりがよく分かるのでその不十分な記載をしてしまった医師を責める気にはなりませんでした。
発生届は本来、感染の蔓延や患者の重症化を防ぐための”手段”としての利用が想定されているはずですが、現状では提出することそのものが”目的化”してしまっていると言わざるを得ません。目的化した意義の乏しい発生届が、患者のトリアージの足かせになっているとしたら、本末転倒です。
また、発生届をオーバーに記載すると、入院の必要性の低い患者が入院し貴重なコロナ病床を埋めてしまいかねません。
重症化した患者を確実に入院させるために、発生届を全例作成するのではなく、ある程度明確化した基準をもとに診断医が必要に応じて入院調整依頼書を発行すれば、調整側としても業務効率が上がり、軽症患者が病床を埋め尽くし重症者が入院できないという逆説的な現状を変えられるのではないでしょうか。患者数自体は数字のみを報告すればいいわけです。現場の負担感も減ります。
明確な基準というのは、新型コロナの重症度分類で中等症II以上、かつ、(かの有名な)A-DROPスコア3点以上などとすれば、わかりやすいでしょう。
なお、依頼書を後方視的に検証することで、当該医師の”依頼の質”についても評価・見直しを促すことが可能になります。
ウィズコロナ時代に達成すべきことを一言で言うならば、「重症化した人を、速やかに入院させることができる」ことだと考えます。それができないのにウィズコロナはありえません。重症化した人が入院できる実効性のある仕組みづくりを強く求めたいというのが、後ろ盾のない中で往診しなければならない私どもの気持ちです。