8月を終えて

8月を終えて

2021.8.31
院長ブログ

8月が終わろうとしています(執筆時は22時を回ったところ)。

今月は怒濤の日々でした。
思い返せば8月2日に当院かかりつけの患者様がCOVID-19に罹患していることが判明しました。普段外にあまり出歩かれない方でしたので、「こんな所までコロナが広まっているのか」と驚いたのもつかの間、保健所より「自宅療養者が溢れており医療が行き届きにくい状況になっている」とお聞きしました。
ちょうど政府から「リスクファクターの少ない中等症患者は原則自宅療養」という旨の方針が発表されていた頃でした。とはいえ、今回指摘された患者様はご年配で基礎疾患を複数有し、「早めに入院できるだろう」と第4波までの経験から安易に思っていたのですが、保健師さんから「入院は何十人待ちです」と途方もない列ができていることを突きつけられ、頭を激しく殴られたような思いがしました。

もちろん、自宅療養者があふれてくるだろうことは頭ではなんとなく予想はできていました。7月の連休の頃より陽性者が爆発的に増え続けておりましたので。しかしながら、私自身どことなく当事者意識がなく、当院としてコロナ診療をすることはそうそう無いだろうと、どこか他人事として捉えていたのです。

8月6日金曜日、保健所の依頼で自宅療養者の往診に伺いました。そのときに初めて、中等症IIの患者さんのリアルを目の当たりにしました。

コロナになるまでピンピンしていた方が、こんなにも皮膚は青白くなり、額には冷や汗をかき、浅くて速い肩呼吸をし、指先は冷たく紫色になっている。そして何より、これまでずっと一人で家にいて、とても不安そうな表情を浮かべている。

衝撃でした。

中等症IIといえば血中酸素飽和度93%以下の方を指しますが、その数字だけでは実際の患者像がここまで切迫感のあるものだとは思いませんでした。なぜなら、第四波までは、コロナの患者さんは比較的早めに入院もしくは宿泊療養施設に移行していたので、我々のような町医者では重症化したコロナ患者さんの治療を行うことはなかったわけです。ですから、まさに燃えさかっているコロナ患者さんの実情を診たこともなく、その臨床像に大きな動揺を覚えたというわけです。

「こんな状態を、僕なんかが、自宅で治療できるのか、、、?」

防護服の中では足が小刻みに震えるのを禁じ得ませんでした。急性の呼吸不全であり、しかも30代、40代といった比較的お若い患者さんですから、普通の医師の感覚であれば入院、それもICUなどの療養の場所を真っ先に思い浮かべる状況です。それなのに、入院先がないから自宅で治療しなければならない。

(どうやって?どんな薬ををつかって?どんな検査をして?)

様々なクエスチョンマークが浮かんできましたが、まずは限られた良質な医学的な知見を元に治療を開始しました。

一旦クリニックに戻ってきて、頭を整理しました。

こんなにも重症感のある人が入院できずにいる。それも一人や二人ではない。しかも大きな不安にたった一人で襲われている。

まさに災害である。

なんとかしなければならない。

それまでほとんど当事者意識のなかった私ですが、困った患者を見放すことが何よりの苦痛でしたので、「クリニックをあげてこの災害的な状況に立ち向かっていかないとだめだ」と覚悟を決めた瞬間でした。

翌8月7日からは3連休に入りましたが、休日返上で自宅療養者の往診に全力を尽くしました。幸いだったのは、私の思いに共感して同じように休日を返上してくれた看護師、ドライバーがいてくれたことです。たった3日間で、区内外を合計して50名程診療しました。次から次に酸素濃縮装置を手配する中、なんと8月9日の夜にはもう装置の在庫がほとんど底をつくという事態になりました。患者が増える一方で医療資源に限界があることを突きつけられた瞬間でした。

連休明けの8月10日。これまでの日常の時間軸の延長状態で出勤してきた職員は、たった3日間で生じたことの大きさに激しい動揺を覚えており、中には涙する者もおりました。

それでも、「この災害を乗り切るために力を貸してほしい」という私の願いに、みんな「やれるだけやりましょう」と賛成してくれました。コロナ対応のため通常診療を大幅に制限する必要があったので、かかりつけの患者さんにも「しばらく僕が往診にいけないけど、コロナをなんとかするために頑張ります」と電話でお願いをして回りました。また、常勤医の金盛先生も「コロナとかかりつけの患者さんは医者を分けるべきである。僕がかかりつけ患者さんの診療を頑張るので、先生は思い切りコロナと闘って下さい」と背中を押してくれました。私の知り合いの医者も、現場の経験から多分に知恵を出してくれ、非常に心強く思いました。

恥ずかしながら、地域に溢れるすべてのコロナ患者さんの診療には手が回らないのが私のキャパシティーの限界でしたので、当院では高度な医療処置を要する中等症IIと思われる患者さんの診療に全力を注ごうと方針を定めました。

クリニックの壁一面にはホワイトのフィルムを貼り、診療している患者さんの情報を一覧に書き出し、日々すさまじいペースで変化する患者さんの情報をアナログで共有することにしました。まさに災害医療の現場で取られている方策です。

それからはおよそ2週間は、私が日本で、しかもここ東京で経験することはないだろうと思っていたような異常な事態が次から次に襲ってきました。誤解を恐れずに言えば、瞬間的にではあれ、医療崩壊の現実に直面したのです。

・10時間以上かかっても、状態が悪い患者さんの入院先が決まらない。
・酸素吸入が必要な患者に、酸素濃縮装置が手配できない。
・生命の危機に瀕する状況でも、入院先がなかなかきまらない。
・通常であれば即入院、即ICU入室という超緊急性の高い病態でも入院できず、治療可能なタイミングを逸してしまう。
・初対面の患者さん相手に、「延命処置はどうしますか?」というようなセンシティブな質問をぶつけないといけない。
・一人暮らしでSOSをあげられずに、生命の淵に立たせられている。
・体動困難となり、便や尿にまみれて、激しい汚臭の中尊厳を失ったような状況で息も絶え絶えにもだえている。

医者としての無力感に苛まれ続ける、精神的にも過酷な1ヶ月間でした。
それでもなんとかやってこれたのは、自宅やオンラインで初めて医師の顔を見ることができた患者さんの安堵に包まれた表情や、治療介入後に目に見えて状態が改善する患者さんの姿、退院された喜びの声、メディアやSNSでの応援のコメント、そして何より当院の職員のサポートと、深夜に帰宅したとは思えないボリュームで食事を出してくる妻と、寝相でもパパの頭をなでてくれる息子の存在でした。

状況は日々刻々と変わっていきます。
最近の感染者数はやや減少傾向で、多くの病院の協力により患者さん受入数も改善しています。大森地区はかねてからの風土もあり自宅療養者のケアに熱意のある先生ばかりで、いち医療機関あたりの負担も少なくなってきています。

今回の波を早期に沈め、医療崩壊を二度と起こさないための地域のシステム作りの必要性を強く感じており、大森地区では大田区役所、保健所、医師会が連携し、大田区版酸素ステーションも立ち上がりました(大田区版酸素ステーションについては今後言及します)。

思えば第四波で医療崩壊の危機に直面していた大阪の姿をニュースで見聞きはしていましたが、私自身当事者意識が全くなく、「東京が同じ事態になったら」という想定を待ったくしてこなかったことを猛省しました。

感染を抑制する一番の方法は何かと尋ねられることが多々ありますが、私には確実性の高いことは申し上げられません。
ただ、ひとりひとりが当事者意識を持つことが何より重要のなのだと思います。
その当事者意識の持ちようについても、増え続ける感染者数を後追いするようでは本末転倒です。

私はこの間、患者さんの許可を得て、在宅療養の実際について各種メディアの取材にできる範囲で協力させていただきました。これは、私自身がそうであった様に、実際の患者さんのご様子から一人一人が危機・当事者意識を持ってほしいというのが目的です。自宅で療養される患者さんも、「自分の姿を見て、コロナについての正しい認識を持ち自分たちの命を守ってほしい」という利他的な思いを強くもたれておりました。

ただ単に行動抑制による感染抑制を、と叫んでいるのではありません(そもそも専門外です)。
ただ、一人一人が当事者意識とコロナへの正しい理解を持ちながら、感染しにくい・拡大させにくい行動をとることが、社会を維持するためにも求められていることのように感じています。

9月を迎え学校が再開されたらどうなるのか。先は見通せませんが、目の前の患者さんに真摯に向き合って参りたいと思います。そして、通常診療ができる日を早く取り戻せることを、心から願っております。